ボヤキのコメントでしられる野村克也さん
ボヤキのコメントで知られる、現在は野球評論家なのが野村克也さんです。
京都府出身の野球選手であり、監督も解説もこなせる有名字であるといっていいでしょう。
日本体育大学の客員教授も行っています。
戦後初の捕手による三冠王であり、歴代最多となる出場数試合数を誇ります。
そのほかにも、監督として出場試合数は歴代3位であり、ホームラン数は歴代2位、打点も2位で、犠牲フライの数は1位など、数々の記録を持っている人でもあるのです。
今の野村克也さんしか知らないと、監督のイメージが強いかもしれませんが、戦後のバッターとして驚くほど高い成績を持っている人だといえるでしょう。
名捕手であってもノーヒットノーランには立ち会えず
監督としては、ID野球で知られている野村克也です。
その基礎を作ったのは、1954年から1980年の27年間にわたって続けてきた現役生活にあります。
南海ホークスから始まり、ロッテ、西武とプレーしてきたわけですが、その中でいかに論理的に野球をしていくのかを追求してきたといっていいでしょう。
その結果が、監督としてID野球という形で花開いたといえるのです。
現役時代には、名捕手として知られていた野村克也ですが、実はノーヒットノーランに立ち会ったことがありません。
勝つために様々な工夫をしてきたものの、これは運も絡む部分があることのために立ち会うことができなかったといえるのです。
現在の奥さんは、サッチーで知られる野村沙知代さんで、実施としては野球選手でもあった野村克則さんがいます。
継子には、エージェントとして活躍している団野村さんがおり、スポーツアドバイザーのケニー野村さんも継子にあたるのです。
南海ホークスのプレイングマネージャー
現役時代も輝かしい成績を残してきた野村克也さんですが、監督としても輝かしい実績をのこしています。
今では何人かの選手が行っていますが、コーチ兼任だった野村克也さんはプレイングマネージャーとして南海ホークスで指揮を執ることになったのです。
今では考えられませんが、4番打者で捕手、さらに監督という3つのポジションを一人でこなすことができたのは、野村克也さんのほかにはいないでしょう。
現在では当たり前となった、ピッチャーのクイックモーションの生みの親でもあることはあまり知られていません。
当時、半球の1番打者として活躍していた福本豊氏の足は、止めることができないといわれていました。
その対策として、捕手として方の衰えが見えていた野村克也さんが、ピッチャーのモーションを素早くさせることで対応したのが始まりなのです。
ボヤキの野村などといわれることもありますが、野球界にとって欠かすことのない人物あることは間違いないでしょう。