ガンバ大阪で活躍する宇佐美貴史さん
ガンバ大阪で活躍し、日本代表にも選ばれているサッカー選手が宇佐美貴史さんです。
京都府長岡京市出身で、ミッドフィールダーやフォワードをこなしています。
天才と呼ばれるサッカー選手であり、各年代の日本代表として活躍してきた選手です。
そのレベルは高く、ユース時代から世界レベルだといわれて天才と称されてきました。
実際に、中学3年生になると飛び級でガンバ大阪ユースに昇給するなど、レベルの違いを見せつけてきたのです。
一時期、ブンデスリーガにも所属していましたが、出番の減少によりガンバ大阪に復帰しています。
天才の挫折
天才といわれ続けてきた宇佐美貴史さんですが、いつも順風満帆のキャリアを積んできたわけではありません。
挫折もあったからこそ、現在のように才能を開花させることができたともいえるでしょう。
キャリアのスタートは、今日との地元のサッカー少年団で、各年代で飛び級していきました。
小4から卒業までの得点数は、毎年200店前後と驚異的な数字であり、合計で600点以上を上げていたというのですから圧倒的です。
天才という名前をほしいままにしていたのもうなずけます。
ガンバ大阪ユース時代も圧倒的で、10番を背負いユースカップも優勝していたりするのです。
特にアタッキング能力の高さは日本人離れしており、ガンバ大阪ユース史上、最高のプレイヤーといわれたほどの逸材でした。
そのため、高校2年次にガンバ大阪に昇級しているのです。
プロとしてのデビューは17歳14日のときであり、ACLのFCソウル戦でした。
それも先発なのですから、驚きのこととして知られたのです。
2010年には、高校生Jリーガーとして、最多得点である7点をとり新人賞も受賞したのです。
輝かしいキャリアを引き下げ、ドイツのブンデスリーガに移籍しますが、世界は広くポジションに割っては入れることはありませんでした。
完全移籍でホッフェンハイムにも移籍していきますが、ここでも活躍することはできずに対談することが決まり、ガンバ大阪に戻ってきたのです。
失意の中で選択したガンバ大阪は、2部に降格していました。
それでも、うっぷんを晴らすかのようにゴールを量産し、1部昇格の原動力となったのです。
天才が覚醒するまで
ブンデスリーガに移籍したことは、ビッグマウスでも知られており、日本代表に選ばれても試合を壊してしまうようなプレーもありました。
天才ではあったものの、一人でプレーするような局面が多く、信頼感という部分では欠けていたのです。
それが変わったのは、ガンバ大阪に復帰以後で、今では昔の姿が考えられないほどの切れを見せてくれたりしています。
現在の日本代表としても、欠かせないメンバーの一人となりつつあるといえるでしょう。
結婚して陰から支えてくれている奥さんの影響もありますし、ブンデスリーガ時代にアドバイスをもらった、フランス代表のリベリーの影響があったとも行っています。
天才が覚醒したのは、ほかの人の意見を聞けるようになってからなのです。