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都はるみさん (演歌歌手)

独特のビブラートを持つ日本を代表する歌手

1948年2月22日、京都府に生まれた都はるみさんは、本名を北村春美といいます。
演歌の大御所として知られ、アンコ椿は恋の花は1964年にミリオンセラーを記録しており、今でも力強いこぶしは健在です。
独特のビブラートが特徴で、日本を代表する歌手であることは間違いありません。

1976年には北の宿からで、第18回日本レコード大賞・FNS歌謡祭最優秀グランプリなど、数多くの賞を受賞しています。
1980年には、大阪しぐれで、第22回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞を受賞しました。
日本レコード大賞で、初めて大賞・新人賞・最優秀歌唱賞の三冠をとった歌手でもあります。

そんな都はるみさんですが、本来は京はるみという名前でデビューする予定でした。
しかし、同名の歌手がいることが判明し、都はるみとなったのは有名な話です。

普通のおばさんに

絶頂期だった時期に、都はるみさんは一度引退をしています。
人気実力ともに認められた時期で、1984年36歳で普通のおばさんになりたいと、突然引退宣言をしたのです。
紅白に出ている姿が当たり前となっていた時期でしたが、第35回目の紅白歌合戦を最後に、約5年間ステージを離れることになりました。

1987年、歌手ではなく音楽プロデューサーとして活動を再開します。
コメンテーターとしても、普通のおばさんであることを貫き通しますが、美空ひばりさんがなくなったことを機に歌手としてカムバックするのです。
その時にも、以前と変わらぬ都はるみ節をさく裂させ、その能力の高さを再確認することとなりました。
その後、紆余曲折を経て、2005年には芸能選奨文部科学大臣賞を受賞し、2010年には紫綬褒章も受賞することとなったのです。

紆余曲折のあったサンミュージックへの復帰

都はるみさんといえば、デビューは日本コロムビアでしたが、現在はサンミュージックに所属しています。
サンミュージックの創始者である、相澤秀禎氏がアンコ椿は恋の花がヒットした時に、どうしてもマネージメントしたいとアプローチしたことから始まります。
約9年後に、サンミュージックに所属することになりますが、個人事務所を設立しいったん退社しているのです。

個人事務所は、公私ともにパートナーであった中村一好氏と共に活動していましたが、2008年に自殺して亡くなってしまったのです。
今でもなぜなくなったかはわかっていませんが、2009年にサンミュージックに復帰することとなりました。
一説には、都はるみさんの行く末を悩んでいたとも言われており、個人事務所の経営とのはざまで苦しんでいたのではないかといわれています。
ですが、現在までに出したシングルの数は140を超えており、演歌という枠組みに縛られることなく、素晴らしい歌手であることは間違いありません。


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